【キングダム】三大天とは?趙の三大天メンバーまとめ!

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キングダムでの作中で秦の強力なライバル国として描かれている趙には、「三大天」と呼ばれる強力な3人の武将が存在しています。

かつては秦の「六代将軍」とも互角に渡り合ったとされる武将ですが、いったいどんな人物たちなのでしょうか。

まとめてみました。

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旧三大天

作中ではすでに無くなっていたため描かれることはありませんでしたが、趙には現在の三大天の前にすでに3人の大将軍がいました。

廉頗以外はすでに作中では故人となっているため、旧三大天については、史実の人物のことを中心にまとめたいと思います。

 

藺相如(りんしょうじょ)

司馬遷は「史記」の中で、藺相如のことを「文武知勇」の将と称しています。

「完璧」、「刎頸の交わり」といった故事で知られている人物なので、名前くらいは聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

 

出自

「廉頗・藺相如列伝」によると、もとは恵文王の宦官繆賢の食客でした。

宦官とは人工的に去勢した男性の役人のことで、皇帝や後宮に仕えていました。

宦官は中国ではなんと20世紀になるまで存在しており、その時代の皇帝や後宮を支えていました。

時代によっては、皇帝が宦官に依存して政策を行い、宦官自身が権力を持つこともあったようで、最初は刑罰を受けた者や捕虜がなっていたはずが、いつの間にか自ら出世を目指して志願して去勢する人も増えていきました。

藺相如の時代の宦官は、「刎頸の交わり」のエピソードの廉頗が言っているように「卑しい身分」と見られていたようです。

 

作中での登場

藺相如は「キングダム」作中ではすでに亡くなっています。

そのため、廉頗と刎頸の交わりを交わした人物で兄弟に例えられ、廉頗の会話と回想でイメージが描かれたのみです。

ちなみに、公式ガイドブック「英傑列紀」にラフイラストが掲載されています。

 

趙奢(ちょうしゃ)

恵文王に仕えて閼与の戦いで秦の軍勢を撃退し、馬服君に封ぜられた政治家、将軍です。

 

出自

元は「田部の吏」と呼ばれる田地の徴税官でした。

あるとき、有力な政治家であった平原君の家の者が税金を払わなかったために、訴訟を起こして死罪にしました。

怒った平原君は趙奢を殺そうとしましたが、そこで彼は「彼らは私腹を肥やしておりました。私は法に則っただけです。法が守られなくては国は繁栄せず、法を軽んじれば国は衰退します。そして、王族であるあなたが法を守らなくては、一体誰が守るものでしょうか」と理路整然と反論し、逆に平原君はその勇気と見識を認め、恵文王に推挙されて趙の国税の管理を任されるようになったそうです。

その後は、誰にでも平等に税をかける趙奢の働きで、国庫は充実し、国力は増強したと言われています。

 

作中での登場

作中には名前と後ろ姿が登場するのみです。

歴史上では廉頗や藺相如と同じ地位に昇格し、馬服君という高い地位を得て、彼ら3人がいる間、秦は趙に攻め込むことが出来なかったとされています。

 

廉頗

作中で登場した時には既に亡命して魏国の大将軍となっていますが、元は趙の大将軍で三大天の1人でした。

藺相如との関係が「刎頸の交わり」として有名な人物です。

 

出自

作中でも描かれている通り、老齢で活躍したことが有名になっているため、将軍となる前の出自はわかっていません。

しかし、紀元前283年に将軍となって秦を討ち昔陽を取り、翌年の紀元前282年に斉を討ち、陽晋を落としたことで上卿に任ぜられ、勇気のあることで諸侯の間で有名となりました。

 

作中での登場

元三大天の中では唯一「キングダム」作中でも存命であり、活躍が描かれています。

顔中傷だらけの初老の大男として描かれ、豪快な性格で、戦が自分の全てと言い切るほどの戦好きな人物です。

かつて秦の六大将軍と激戦を繰り広げた大将軍で、李牧からも「正面から当たれば勝てる人間は一人もいない」と評されています。

趙の英雄とされる百戦錬磨の名将で、史実でも彼がいるだけで秦に対する牽制になったとされていますが、白起、王騎と2年に亘り戦い続けた「長平の戦い」の最中に趙王の命により趙括へ総大将の任を委譲させられた苦い過去を持ち、また魏の繁陽城を攻めていた最中に悼襄王が趙王に即位すると、素行の悪さを度々諌めたことで恨まれていたため、更迭処分されるという不遇な扱いを受けます。

これを突っぱねた事で逆賊扱いされてしまいますが、趙国大将軍、楽乗の率いる追討軍を返り討ちにした後、愚行を繰り返す趙を見限り、そのまま生え抜きの配下を引き連れて魏へ亡命しました。

その後、3年間沈黙を保っていましたが、秦の魏国侵攻に対して魏軍を率いることを決意し参戦しました。

蒙驁軍の本陣へ乱入して秦軍を窮地に追い込んだものの、総大将としていた白亀西を討たれた上にその後の戦況の不利を察し、山陽の割譲で和睦に妥協ました。

ただし魏国からは山陽を失った責任を取らされ、終戦後には部下と共に追放され、楚国へ客将として亡命しました。

 

史実との相違点

ちなみに、史実では魏国への亡命後、実際には魏国からの信頼は得られず、大軍を率いることは無かったようです。

その後、弱体化して始皇帝の下で強国になろうとしていた秦に目を付けられた趙から、戻ってくるように使者がやって来て、元気な姿を見せたうえでそれを承諾しますが、趙にいた頃から不仲だった奸臣である郭開という人物にその使者が買収され、「三度遺矢」、つまり、「年をとりすぎて、小用が近くて使い物にならない」という嘘の讒言が行われてしまったために、帰郷は叶いませんでした。

その後に、「キングダム」でも描かれる通り楚に亡命するわけですが、将軍に任命されるものの目立った功績を上げることは出来ず、そのまま病死します。

趙を追放されてからは「(合戦をするのであれば)趙の人を使って戦いたい」と望郷の念を抱いていたとされています。

「キングダム」作中の豪快で強い武人として描かれている廉頗とは、大分異なった人物ですよね。

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現三大天

現三大天については、「キングダム」作中の登場人物についてまとめます。

 

龐煖(ほうけん)

自ら「武神」と称する大柄な大男で、とにかく化け物じみた武力を誇っていますが、あまりにも単独行動で動いてしまうために、「軍人としてはどうなんだろう?」という感じで描かれています。

単独で多数の敵を屠る様子が描かれ、昌文君は「純粋な武の結晶」、羌瘣は「求道者」の一種と評していますが、麃公からは、「己の中の大いなる矛盾に気付かず一人もだえているただのど阿呆」「(闘っても)全く何も感じていない」、信からは「廉頗と比べたら(武力が)軽い」と酷評されています。

 

李牧(りぼく)

趙国の天才的な策略家です。

作中登場時には、先陣を切って戦うような描かれる様子はありませんが、かつては数え切れない程の戦場をくぐり抜けた武人でもあり、作中での正確で大胆な軍略の裏にはこの経験が生かされているのかもしれませんね。

王騎が打ち取られるきかっけを作った人物でもあり、合従軍を発起して秦国を滅亡の淵にまで追い詰めました。

無意味な死を嫌っており、「非戦闘員を殺めない」、「味方の損害を増やすと分かっていることは行わない」といった極めて理性的な考えを持っていますが、この考え方に至った理由は読み切り作品の「李牧」で描かれており、若い頃に両親と兄と弟を失い、暴走して無謀な突撃を行なった結果、敵将を討ち取ることに成功したものの、自分の仲間を全て失うという経験をしているためとされています。

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まとめ

以上、趙の三大天についてのまとめでした。

いかがでしたか?

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