【キングダム】主人公信のモデルとは!?史実で描かれた実在する李信はどんな人物!?

「キングダム」の主人公である信には、歴史上にモデルとなった人物がいます。

第1話や漫画の公式ガイドブックですでに名前は登場していますが、「李信」という人物です。

どのような人物か皆さんはご存知ですか?

今回はこの李信という人物についてまとめてみたいと思います!

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李信の生きた時代とは?

 

春秋戦国時代

李信は「キングダム」の舞台となっている中国の春秋戦国時代の人物です。

春秋戦国時代とは中国史において、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代のことを指しますが、この時代は大きく2つの時代にさらに分けることが出来ます。

諸説ありますが…

  • 紀元前403年に晋が韓・魏・趙の三国に分裂する前を春秋時代

→紀元前770年~紀元前403年

  • それ以降を戦国時代

→紀元前403年~紀元前221年

とすることが多いようです。

 

李信についての記録があるのは紀元前229年~紀元前221年のことなので、ここからは戦国時代後期について少し紹介したいと思います。

 

戦国時代後期

戦国時代中頃には東に斉(せい)という強国があり、西には後に始皇帝や李信達が生まれることになる秦(しん)という強国がありました。

つまり、この時代の地図には2つの強国と、その他多数の小国という構図がありました。

 

しかし、紀元前284年にその他の小国の1つである燕(えん)の楽毅(がくき)という武将が大将となって、5つの小国(燕、趙、韓、魏、楚)をまとめて5か国連合を結成し、斉を攻め落とします。

斉は後に復興こそしますが、大きく国力を削られたことで、中国は秦による一強国時代になります。

秦は、名将、白起を使って諸国に苛烈な攻撃を加え、紀元前260年には長平の戦いで趙に大勝し、45万という将兵を一度に殺したほか、紀元前256年に東周を滅ぼすなど秦はまさに絶好調です。

 

李信が活躍したのは、漫画では嬴政として登場した後の始皇帝、政が秦の王となってからであり、まさに野心に満ち溢れた政が、史上初となる中国統一を成そうと他国を次々と滅ぼしていた時代です。

秦はこの政が王として君臨していた時代に、まず紀元前230年に韓を滅ぼし、続いて紀元前228年に趙、紀元前225年に魏、紀元前223年に楚、紀元前222年に燕、そして紀元前221年に斉を滅ぼし中国統一を果たし、政は「始皇帝」と名乗ることになります。

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李信の経歴について

 

「史記」について

ウィキペディアによると、李信に関する記述は、紀元前91年に成立したとされる「史記」という司馬遷によって編纂された歴史書の中にあるようです。

お気づきになられた方もいらっしゃるかもしれませんが、李信が生きていた時代から「史記」の成立まで150年近くの隔たりがあります。

どうやらこのような歴史書を作成する構想自体は、司馬遷の父である司馬談(しばたん。?年~紀元前110?)が持っていたため、もしかしたら父からある程度の情報は得られていたかもしれませんが、司馬遷がどの程度史実に忠実に編纂した物かどうかは極めて怪しいところです。

当然、始皇帝や李信にも司馬遷自身は会ったことは無いわけですから。

 

とはいえ、李信については歴史的なソースが極めて少ないわけなので、こういった歴史書であっても参考にせざるを得ないのでしょう。

「史記」の構成は

  • 「本紀」12巻
  • 「表」10巻
  • 「書」8巻
  • 「世家」30巻
  • 「列伝」70巻

となっており、李信についての主だった記述は70巻もある「列伝」の中の「王翦列伝」および「荊軻列伝」にあります。

 

それでは経歴を見ていきましょう。

 

「史記」の中の李信

  • 生没年:不詳
  • 出自:不明

紀元前229年~紀元前228年、同じく秦の同僚である王翦(おうせん)が数十万の軍を率いて趙(えん)という国と対峙した時、李信は趙の太原・雲中に出征しました。

紀元前226年、荊軻という名前の殺し屋を使って、政(のちの始皇帝)の暗殺未遂事件を起こした燕の国の王族、太子丹に対する報復として、王翦と王賁が燕の都、薊を攻め落とします。

このときに敗走した燕王喜と太子丹という2人の王族を約1000人の兵を率いた李信が追撃し、太子丹を討ち取りました。

燕はこの時点で、事実上滅亡していますが、一応国としてはまだ存続しています。

 

紀元前225年、ぼちぼち楚を征服したいと思った秦王の政は、李信と王翦の2人の武将に対して、対楚戦にどれほどの部隊が必要か尋ねます。

それに対し、李信は「20万」、王翦は「60万」とl答え、「王翦は耄碌(もうろく)したな、情けないな!」と思った(であろう)政は、より少ない兵力で攻略できると言い放った李信の案を採用して、侵攻を命じます。

 

李信は20万の総兵力を2つに分散し、1つを自分が率いて平輿へ向かい、もう1つを蒙恬という別の武将に任せて寝丘に向かわせどちらも楚軍に大勝します。

さらに勢い付いた2人は郢周辺までもを攻め、楚軍を破ります。

 

喜んで城父という場所で合流した2人でしたが、そこを三日三晩追跡して来た楚の大将軍、項燕の部隊に奇襲され、7人もの武将を失うまさかの大敗北を喫します。

当然この失敗によって王翦と交代させられてしまった李信。

結局楚の攻略は、この敗北の翌年に王翦と、李信と一緒に大敗北した蒙恬の父、蒙武の2人によってようやく完了します。

 

紀元前222年、李信は王賁と共に燕の遼東を攻めて、王の「喜」を捕虜として捕らえ、まずは燕を滅ぼします。

さらに、趙の国の生き残り王族たちが建てた臨時政権「代」を攻めます。

李信は代の王であった「嘉」捕らえ、代も続けて滅ぼします。

 

紀元前221年、王賁と蒙恬と共に斉を攻めた李信は、これを滅ぼします。

これによって、秦は史上初の中国統一を成し遂げました。

ここまでが、「史記」に記載されている李信についての記述です。

 

まとめると、李信は趙、燕、斉、臨時国家である「代」も含めれば、4つもの国の滅亡に関わっています。

それだけに、始皇帝からの信頼も厚かったのかもしれませんが、対楚戦で大敗した後も処刑されていません。

とはいえ、この記録はどこまで定かなものかは怪しいところです。

何せ、私たちが幕末の頃のことについて、あたかも自分が見てきたことのように書いているわけですから…。

しかし、李信に関する記述はこのくらいしかないようです。

 

李信の血縁者

李信の奥さんや子供についてはさらに謎です。

李信の先祖や子孫についての記述は「新唐書」という1060年に成立した歴史書にあるようですが、年月の隔たりもさることながら、「春秋の筆法」と呼ばれる主観的な叙述を用いているために、歴史的には極めて信頼度が低い書とされています。

それによると、李信の祖先は李耳、哲学で有名な「老子」とされています。

 

祖父が李崇、父が李瑤という人物でいずれも秦の国で役職を得ており、子供の李超は漢という国の大将軍になっているとされています。

李信から4代隔てて、漢の前将軍、李広という人物がおり、この李広の先祖が李信であるということに関しては前述の「史記」の中にある記述と一致していますが、それ以外の血縁関係者については、他の歴史書にも何にも書かれていないため、「新唐書」の想像に任せて、都合よく書かれたのではないかと考えられています。

 

ただ、信のモデルとなった李信には「妻がいた」という史実の情報もあります。

その話を元にキングダムの信にも嫁ができるかもしれません。

信の嫁予想は「【キングダム】信の嫁が誰かガチ予想」にまとめています。

 

まとめ

以上、「キングダム」の主人公である信のモデルとなった李信についてまとめてみました。

出来るだけ簡素化してまとめてみたのですがいかがでしたか?

歴史を知ると、より「キングダム」の世界を楽しめるかもしれませんね!

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